旅日記(ハードディズナイト)


■ 15歳の夏

なぜか高校の部活はサイクリング部(自転車部)に入ってしまいました。
本当は山岳部かワンダーフォーゲル部(我が高校はなぜか両方あったのだ)に入ろうとしたのですが山岳部はクラブ紹介での男臭さが凄すぎてやめ、ワンゲル部は冬山もやるというので無理無理っといった感じでやめ、なんだかんだ遠くへいく憧れからサイクリング部を選んだような気がします。
しかしこのクラブは高校とは思えないぐらいハードなものでした。

初めての長い走りは実家、埼玉川口から都内の高校に集合し伊豆大島への夏合宿でした。
ツーリングとはいえほとんどが競技用のロードレーサーに乗ってますので走る距離もかなりです。
慣れてない1年生は夏の暑さと都会のど真ん中を走る疲れでヘトヘトです。
当然、飯は喉をとおらないのですがYHでの食事を残そうものなら先輩の怒涛のような怒りが飛び、死ぬ思いで食べました。
静岡の伊東まで走りフェリーで大島へ。
またこのフェリーが大揺れでさらに1年生の体を蝕みます。
大島では3泊して相変わらずハードな生活を送りクラゲに刺され弱りきりました。

そして帰路でのこと。都内の赤坂あたりを夕方走行中、落車(自転車で転ぶことダヨ)して救急車行き(いままで救急車は3回乗ってるぞ!もう乗りたくない・・・)です。土曜日ということで都内の病院をタライ回しにされたのち新宿の某悪評高い病院に運ばれ土曜日だから手術はできないと言われ月曜日まで右肩を脱臼したまま、鎖骨を粉砕骨折したまま過ごしたのでした。全治2ヶ月で夏は終わりました。
ギブスが暑いんだよなあ。


■ 16歳の夏

16才の夏は15才の夏がギブスの夏であった反動で長い旅がしたくなり遠い青森まで走ろうとしました。
長い旅をすることで恐怖の夏合宿もサボれます(長い旅をする場合は合宿に出ないでもいいのです)。

さすがに親は心配していたようですが毎日連絡することと、無理をしないことを条件に(ほとんど連絡しなかった・・おもいっきり無理してた・・・)OKしてくれました。
この旅で1番ハードな部分を紹介します。
それは旅の初日でなんと川口から那須高原まで走ったのですが1日の走行距離180Kmでした。
とにかく日中暑くてバテましたね。
そしてその身体に鞭打つように最後の15Kmは登りでしかもどしゃ降りの雨で泣きっ面に蜂です。
坂の途中で買って食べた桃が旨かったなあ。

YHに着いたのは夕食時間を少し過ぎた6時半頃でした。

それでもめげずに毎日走り青森から山形、秋田を通り1800Kmを走る旅でした。


■ お寺のYH

東北一周の最後の宿は栃木にある某お寺のYHでした。
お寺のYHは何度か泊まったことがあるのですが、ここは凄かったですね。
夏で暑いからといって戸が全部外してあり唯一、隣の部屋との間仕切り壁1枚で三方、外が見えます。
というかほとんど外にいるのと変わりありませんでしたね。もちろんそのままは寝れませんですから大きな蚊帳が吊ってあります。

宿泊者は5人でした。夕食はカレーでみんなで食後は何することもなくお寺の家族と一緒にテレビを見て過ごしました。
さあ寝るかというときに電気を消すとみんなで「なんか目線感じない?」「中庭の大きな仏像と目が合うよね」「ああ、いい感じで月夜に照らされているよな」「何か野宿してるのと変わんないよな」

問題なのはここのトイレです。
何と!渡り廊下を通って外にあるのです。
みんな「夜トイレに行きたくなったらどうすんだ?」「いやー無理無理。死んだふりするね」
そういう時に限って夜中にトイレに行きたくなり、私は恐怖の外のトイレに夜の夜中に一人で行きました。
また月夜が仏像をいい感じで照らし、見ちゃいけない、見ちゃいけないと思いつつ目がいってしまいますよね。やっとトイレに着いたら、これまたトイレの向こうにお墓が月夜に照らされて、もう演出効果バッチリです。

朝、起きたら蚊帳にカブトムシが数匹とまってました。


■ 柳沢峠

東京と山梨の県境で東京の奥多摩の奥に柳沢峠はあります。

高2の冬、12月の終わりに冬合宿があり、山梨を走って最終日、石和のYHを出発して柳沢峠越えの帰路でした。
塩山側から登りだし大菩薩の入り口あたりで昼過ぎで、そこでの標高は約900Km。そこからの登りはまるで壁のようでした。
1470Kmの峠についた頃はもういい時間でこれから川口まで帰るというのは想像もつかない世界です。
なぜって?だってまだ家までは150Kmぐらいあるんですもん。

12月も終わりだし、標高も高いので、すごく寒く、下りの前に身体に新聞紙を巻きつけ(いがいと暖かい)念入りの準備をして出発です。
奥多摩湖のあたりではすっかり暗くなり、みんなロードレーサーという競技用の自転車なのでライトは付いてなく(っーか、まさか暗い道を走ると思ってないもん)恐怖の走りでしたね。
トンネルも多くしかも先輩がトンネルのコワーい話をするわで、ただでさえ寒いのによけい寒くなるのでした。

奥多摩に着いたのは夜7時過ぎでそこで夕食を食べ、な・な・なんとそこで解散となりました。
われわれ2年生と1年生はおもわず「えーー」っと叫び、これからどうしょうかということで途方にくれました。
調べたら御岳まで走ったらYHがあるということでしたが夜遅くてダメということでした。
ちなみに先輩達にどうするかと聞くと想像どうりあたりまえのように「あー、走って帰るよ。あたりまえじゃん」。
そうです。
いつもこの人達は異常なぐらい走ります。
伊豆修善寺の春合宿の時でも三島の駅前朝7時集合の時(この時点でこのクラブのハードさと異常さがわかる。
普通、高校のクラブでこんな遠くで集合しないっーの)も夜どうし箱根峠越えで走ってきましたからね。
ちなみに最終日も三島駅前に昼解散で御殿場経由で走って帰りましたからね。

というわけでとりあえず輪行(自転車をばらして袋に詰め電車に乗せること)で帰れるところまで帰ろうということになり後輩を連れ列車を乗り継ぎ山手線では混んでて自転車を乗せれず車掌さんの乗務員室に乗せてもらい必死の思いで川口に着いたのは最終で夜中の1時過ぎでした。
そこから自転車を組み立て家に着いたのはもう2時過ぎで体はボロボロになってました。

ああ、こんな時代から常にハードだったんだなあ。人間は強くなれるねえー。


■ 道南のとあるバス停にて

道南の函館から日本海側には宿があまりありません。
当時、松前に旅館のYHがありその北上先は島牧YHまで宿はなく(普通の宿ならあるでしょうが・・・っていうか普通じゃない宿って何?)最初から野宿のつもりでした。
夕方近く手ごろなバス停の小屋があり、ここにしようかと決め、のんびりたたずんでいました。
(このバス停を決めるのが一つの賭けなのだ。もしかしたらもう少し先にもっといいバス停があるかもしれない。でもいざ走り出したら1時間もバス停がないかもしれないし・・・)
すると函館方面から4サイド(荷物満載)のチャリダ−がきて「今日、ここに泊まるの?」「そうだよ」「俺も一緒に寝ていいかな」「ああ、いいよ」「それじゃあ、俺メシ作るから一緒に食べようよ」。

2人で食後はボケ−っと沈む夕陽を見ていました。
すると近所の親父がやってきて「コラ、お前ら何やってるんだ!ほら、トウキビ食え!食器は家に来て洗え!家に寝てもいいんだぞ」。
さすが北海道です。

夜、2人で寝ていてあまりの寒さの寝付けずにいると彼が「寒くない?俺の服を着るといいよ」と言って服を貸してもらいぐっすりと寝れたのでした。

10数年後その場所を通った時、あの時と同じ場所に朽ち果てたバス停に小屋がまだあって涙が出そうになりましたね。


■ お寺のYH

ふとバイクで信州へ旅したくなり1週間ぐらいのバイクツーリングの初日のこと。
時間がもったいないので午前中に用事を済ませ午後からパッキングして出発しました。
何も深く考えず(いつも深く考えないのだ。今でもだけど・・・)信州といえばやっぱ、柳沢峠越えでしょう、っと行った感じで奥多摩を目指しました。
以外と奥多摩まで遠く、当日の宿は決めてませんので、まあどこか暗くなったら野宿すればいいやって感じでした。

地図を見ると理想は峠のあたりでシュラフ泊かなあと単純に思ってました。
奥多摩に着いたのが夜の7時頃で駅の近くの喫茶店で食事をしてのんびりしていると店のマスターが「お客さんこれからどこ方面に走るんですか?」と聞いてきました。
「いあー、ぜんぜん決めてないんだけどとりあえず柳沢峠のあたりで野宿ですかね」と答えるとマスターは急に驚いて「エー、お客さん、知、知らないんですかー」と言いました。

その一言で、あーそういえば高校の合宿の時先輩が言ってたよなあ、と一瞬で思い出しましたね。
そうそう、例のあれね、いやー無理でしょ。
「この辺で泊まれる所ないですかねえ」。「今からなんて無理ですよ。夜、柳沢峠に行くライダーなんていませんよ。ましてや野宿なんて」。

どうしょうか迷った挙句、いつもの脳天気なポジティブソウル?で行くことに決めました。
そしていざ走り出すと奥多摩湖のトンネルがやたらと怖く、とてもじゃないけどバックミラーは見れません。
峠まで小さな集落があるのですがこれがまたいい感じで怖いんですね。
見ちゃいけないと思いつつ、ついバックミラーを見てしまうのですが真っ暗でさらに恐怖心が高まります。
あまりの怖さに柳沢峠を越えても落ち着かず結局、韮崎まで走って小屋のあるバス停を見つけて野宿しました。
さすがにあまり寝付けませんでしたね。

なんで自律神経を痛めることばかりするんだろうなあ・・・


■ 道南のとあるバス停にて

雨の中を走ることはあまり苦ではありませんでした。

富良野の某宿の泊まっていた時、天気予報で台風の接近を知りましたがいつものように、まあ大丈夫だろうと無関心で聞き流してました。
次の朝ものすごい雨風でこりゃヤバイと思い同室の方に狩勝峠まで自転車ごと乗せてもらいそこから別れで池田方面に走り出しました。
これが朝よりも雨風はすごくなり長い旅をいくつも経験する中、過去最大級の暴風雨との出会いになってしまいました。
台風の中、普通外には出んだろうと思うでしょ。
それを自転車に乗ってることがもうオカシイですもん。

池田の某宿に着いた時は宿の方から「本当に来たんだ。普通走らないだろう。」と言われました。
ちなみに他のライダーはみんなキャンセルをしたらしいです。
この日は体調は悪くなかったのですが何故か夜、宿の方と怖い話で盛り上がり(宿内で怖い話は御法度だろう)夜、寝付けませんでした。
同室の他のお客さんも寝れなかったらしいです。男はみんな怖がりサ!

寝不足のまま釧路方面に走り、なんか身体が重いなあと思いつつ快調に走り鶴居村の某宿には昼過ぎに着いてしまいました。
この頃から具合はさらに悪くなり身体は別人のようでした。

この日の宿泊者は私1人で宿の方から大歓迎を受け(私はどこでも何故か歓迎されるタイプ)やたらとビールを飲まされ夜はギターで2人でハモリまくり、寝たのは何と3時(夜中だヨ)でした。
朝なんとか出発しようといつものように起きたのですが身体はフラフラでこれはヤバイでしょう、ということで宿主を起こし(まだ寝てました)朝食を準備してもらい、病院に行きたいことを告げました。
するとここの村には病院なんてないよとサラリと言われ小さな診療所しかないとのことでした。

朝食後、噂の診療所へ行き、まだ若い女医さんに診てもらったところ「肺炎になりかかっているから旅をやめてすぐに帰りなさい」と言われてしまいました。
点滴を打たれ入院設備がないのでまた明日も点滴を打ちにくることと安静にすることをきつく言われました。

宿に戻り事情を説明して連泊希望を告げると宿主は何故か大喜びしてましたね。

少し寝てたのですが退屈なので庭に出ると宿主が宿の看板を道路際に穴を掘って立てようとしてました。
1人では大変そうなので穴掘りから立てるまで一通り手伝うと宿主さんは「ありがとう、お礼に今日は焼肉を食べに行こう。おごるよ」と言われ、温泉に入った後、また夜たらふくビールを飲んでしまいました。

当然、身体は良くなるわけはなく次の日女医さんに「全然、よくなってない!早く帰りなさい。とりあえず明日も来なさい」と点滴を打たれたのでした。

宿に戻り、また連泊で宿主さんと温泉に行ったりと遊びまくり夜もハードでした。
身体はオカシイのですが変に体力があるものですから困ったものです。

次の日もまた女医さんに怒られ、点滴を打たれ、逃げるように旅立ってしまいました。

その後、激しい咳をしながらオホーツクを北上して浜頓別では野犬の群れに襲われたりとハードな旅を続けました。
南下して滝川あたりでは死ぬんじゃないかと思うぐらい咳が止まらず薬屋で龍角散を買いましたが止まらずクタクタのまま旅を終えました。

家に帰ったあともしばらく咳が止まらなかったので病院で検査してもらったところ「肺炎にかかったことありますか?」と聞かれ「ないです」と答えたら「おかしいですね。肺炎が治った跡がありますよ」と言われました。

あー、あの苦しかった咳は肺炎にかかってたんだ。




 
 
 
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